源氏物語はなぜ書かれたのか 井沢元彦

源氏物語の映画を見に行く前に、思わず原作本を買っちゃって、その時一緒に買ったのがこの本です。
結構しっかりとした内容というか、源氏の本筋ではなく、書かれたバックボーンの所の話だったので読了までに時間がかかってしまいましたが、ちゃんと読み切れました(笑)

源氏物語と怨霊と言えばやっぱり私的には過去に記事でも書いた六条御息所(「霊魂という存在になる女」参照)を一番に思い浮かべるわけですが、この本の中ではもっぱら現実の政争とか歴史的背景というものにスポットが当たっています。

私はあまり外国文学に詳しくないので、外国文学との比較はできないのですが、それでも「確かになぁ」と思う箇所は何か所も。

政治文学としての源氏物語をお好きな方にはオススメできる本ですね。

で……

映画源氏物語の中の藤原道長は、あまり怨霊的なものを信じない、という設定だったのですが、現実はどうだったのでしょうかね?

んでもって。

歴史的、政治的に怨霊を怖れる気持ちがあって、源氏物語が成立した、という箇所には納得いくところもあるのですが……もし「そう」なら、女性の怨霊たちへの鎮魂は、どんな思いだったのだろう? とそんなことをふと気にしてみたり。

道綱母とかって、紫式部より少し前でしたっけ?

御息所や藤壺の「霊」の存在はどちらかと言えば「身分の高い」女性を簡単にないがしろにする「源氏」への非難めいた書き方のような気がしますが……

もし、紫式部が怨霊を信じ、鎮魂を思ったのなら……

六条の御息所は、平安の女性のため息の彼女なりの集大成だったのかも知れないと、そんなことを思います。

で、……ここからさらに空想。

今、ふと気になったので、手元の新修国語総覧で蜻蛉日記と源氏物語の成立年を見てみました。

蜻蛉日記 974年ころ(一応西暦にしておきます)

源氏物語 1001年ころ

ということで……25年の開きが。

そうですよね~ 道綱母は兼家の奥さんですから、今でいえば式部のパトロンであった道長の義理の母親世代ですもんね。ということで。

彼女は蜻蛉日記を読んでいたのでしょうか?
漢文もなんなく読んでいたという彼女ですから(かなり読書好きだったらしい)、読んでいた、のではないかな?
そしてそこに、男女のいわゆる「ドロドロ」の気持ちを見て。

「これは小説にするべきだ」
とか、思わなかったでしょうか? 思ったんじゃないかな~。

ん、ま、ただの空想ですけどね。

式部の中で「男女の色恋沙汰を小説にできる! それもかなりドラマチックに出来る! 書いてやるわ!」と思わせたのが蜻蛉日記だったりして、と思うと、なんだかすごく楽しくなってきた私です。