コミュニケーションツール~携帯電話と平安の文(ふみ)


NAOTO KINE PRESENTS TMN BLUE

昨年の終わりごろに、なんとなく思い出して、古いアルバム(中高生の頃、聞いたりしていたものを、中古CDで手に入れて、通勤の行き帰りに聞いているのです)を聞いていると、電話の音が入った曲がありました。

今は電話っていうのが、そもそも家電話の比率が下がってきちゃって、電話の音=着メロ、みたいなイメージがありますが、その曲の頃というのは、携帯電話なんかない時代のこと。電話の音といえば、リリリンとかプルルルルとか。そんな感じの音でした。
さすがにジリリリは入っていなかったんですけどね。

で、携帯も着メロなんて、最初の頃はそんなになかったじゃないですか。それが今は、いくらでもダウンロードできて、いくらでも設定を変えられて。相手によって、音楽を変えることもできて、あ、仕事の電話だ、とか、彼氏からのメールだ、とか分かりますよね。
これってすごいなぁと思いつつ、平安時代の「文」のことを思い出しました。

当時の文、というのはもちろん切手を貼ってポストに入れるわけではなく、人に持っていかせるわけですが、その文と一緒に、花を添える習慣がありました。文も、ただ文を書き連ねるだけではなく、(特にラブレターの場合は)歌を詠んでそれを贈るのですがそれに合った花です(草木のこともあったようです)。
で、花を贈るとなれば、当然その入れ物もあり、また、花だけではなく、紙にもこだわり、そして紙にこだわるとなれば当然墨にもこだわり、字にもこだわり……
今で言う、トータルコーディネイトなんでしょうか。

もちろん、誰が持ってきたかで、誰からの文なのか、ということは分かっているわけですが、その文のセンスで、その人間性を推し量られてしまうわけで、「文がダサい=人柄もダサいに違いない」という風になってしまうわけです。
今の着メロは、それとは逆に、誰からかによって違う、という所は一緒でも、受け取る側が「その人」のイメージ(?)として曲を選ぶわけで、そんなことを考えると、自分の番号の着メロは、何になっているんだろう、なんてことがふと気になったりします。

にしても、コミュニケーションツールを相手によって、フィットしたものを選ぶ、という意味ではこの着メロも、脈々と続いてきた文化の中の流れなのかな、と思ったり。
外国にも着メロはあると思いますが、日本みたいにたくさん(それこそ星の数ほど)あったりするのでしょうか?
詳しい方、若しよろしければ教えてください。


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Scroll to top