私は光源氏を好きなのか

いよいよもって、橋本源氏を買ってしまいました。
いつか源氏供養を読んだときにやっぱり一度読んでみないといけないなぁと思ったので、あれから思えばやっと、という感じなのだけど、とにかく買ってしまった。
何巻を買おうかと結構悩んで、最終的に手にしたのは二巻と三巻の二冊。
で、三巻から読み始めて(!)結構面白いなぁ、と思いながらその一方でふと自問してしまった。私って、光源氏を好きなのかしら、と。

三巻の最初は、源典侍で、男の作者からみた源典侍を見るのも結構新鮮で、面白かった(きついなぁと思わないでもなかったけど)。特に橋本源氏の光は作者自身が「きわめて現代的な一人称を持っている」と自負しているだけあって、自分の孤独とか求めているものを自問自答しながら恋のハンティング(!)をしている様子が、痛々しいほどに感じられてしまう。
今まで源氏を読んだときに、その設定は「頭では理解していたつもり」でも、あまり描写の中にはそういうものは出てこなくて、なんとなく「そうなんだろうな」と思っていたり感じていただけのような気がしました。
この橋本源氏の光は「苦悩している」姿がすごくリアルで、それまでは雲の上の存在だった彼が、急に身近に感じられるような気がしてきて、そして上の自問になってしまうのです。

もちろん今までもいろんな人の「光源氏像」なんかを読むときに、この人は好きなんだろうなぁ(田辺・円地)とか、あるいはへぇ、あの人って嫌いなんだ(瀬戸内・谷崎)とかそういうことを文面で読んで、そうなのか、と思ったことはあったけれど、「私は」好きなのか、ということをあんまり考えたことがなかったなぁとやっとここに来て気づいた、と、そういう感じ。

で、少しまじめに考えてみました。
私がなんと言っても好きな登場人物は朧月夜で、その次が六条の御息所で、その次が朝顔、葵と続く。どれもこれも、光源氏の周辺の人物で、光源氏がいなければこの物語には出てこない、しかも結構存在感のある脇役、といったところだろうか。
じゃあやっぱり私、光を好きなのかしら、と思うと。
……ここで、結構重大なことに気づいてしまった。
私は上に書いた女君の視線でしか、光を見ていない。「私」ではなくて。
だから結論から言えば、光のことを結構好き。

朧月夜から見た光は、一族の政敵であり、自分を今までのレールから突き落としてくれる魅力も持った危険な男。六条御息所から見れば、はるかに若くて当世一の「いい男」。朝顔から見たら「いつでも気心の知れた、そしてセンスのある幼馴染」。葵から見れば……
彼女から見た光はどうだったのか、いまいちわからないのですが、前三人の目から見た光は、やっぱりどうしようもなくいい男で、そんないい男は私も好きなのです。

瀬戸内寂聴さんがあちこちで書いておられることの一つに「源氏物語は女君の物語」というのがありますが、それは間違いなくそうで、そして私は私ではなく、源氏物語を読んでいるときは、その中の誰かになっている、ということかも知れません。

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