先日ちらりと触れた、橋本治の源氏供養です。この本は上下巻に分かれてまして、その上のその1。
その1ということは、まだ続くわけですね……(苦笑)結構長くなりそうなので、分けることにしました。
橋本治さんは「窯変源氏物語」という源氏物語を書いておられまして、でも実は私、これを読んだことはありません。
というのが、高校の終わり頃だったか、大学にもう入っていたか……その頃橋本治=桃尻娘、だったのです。で、それをちらりと見て、「あ、この世界は私ちょっとダメかも……」と思ってしまって、それ以降橋本治さんはスルーし続けて。
その後もすごく熱狂的なファンがいらっしゃることとか、そういうちょっと特殊なところしか情報が入ってこなくて、まぁ平たく言えば食わず嫌いに近かったということでしょうか。
読んでなかった言い訳はここまでで。
今回こういったブログとかを始めるまで源氏に入れ込んで、あれこれと書籍を漁っていると、ちょっと橋本治さんを通り過ぎることは出来ないぞ、ということで選んだのがこの源氏供養でした。
窯変本編に当たる前に、橋本さんの解釈があんまりにも自分とかけ離れていたらイヤだし、と、そんなことを考えたのです。
で、この本はどういった本かというと、源氏物語にまつわるエッセイのような、あるいは彼の思ったことを綴ったような。そんな本です。
しかも、私はこの方の本を読んでいないので、何しろそもそもがかなり内容が濃い上に、今まで考えたこともなかった観点がぽんと出てくる。読むのにすごく時間がかかったのですが、それはそう言うことです。
渡辺淳一さんの本の所で少し書いたのですが、男性の「源氏物語論」というのは時にむずむずするんですが、この本はそう言うところは少なく、むしろ驚きや「え?」ということの方が多かったような気がします。
渡辺さんの本が、一男性観客として「紫式部監督の源氏物語」という映画を見て、中の登場人物に感情移入して「あれこれ」感じたことを書いた、という感じならば、橋本さんのこの本は「紫式部監督」の源氏物語のあれこれに思うことを書いた、という感じでしょうか。(分かりにくい表現ですね)
なんというか、紫式部と同じ「物書き」として見ている、という気がするのです。「ここの演出は……」とか「ここの台詞回しは……」とか。そう言う感じ。
で、まず最初におお~と思ったのが「現代で源氏物語ができるのか」という氏の問いかけです。
はい、やろうとしている大馬鹿モノです。
氏の答えは「NO」です。もちろん、私も全部出来るとは思ってません。
たとえばわたしの作品では絶対かけないだろうなと思う人は「紫の上」です。彼女は余りにも登場時間が長すぎる。しかも主要人物ですのでどこかを切り取るなんてできそうにもない。彼女のエッセンスとも言うべき「源氏への思い」や「正式な妻(本妻)ではなかった(妻としての手順は踏んでますけれど)」なんて部分は現代と婚姻形態が違うためどうやっても移せない。
それでも橋本さんが「どうだろう」と考えてみた、ということはすごくエキサイティングだと思います。
この本を読んで、「窯変」も読んでみようかな、などと思いました。多分性格的に全部は読めないと思うので、須磨明石辺りまで(笑)
それからもう一つ、橋本さんは弘徽殿の女御や六条の御息所に、とても男性とは思えない(誉めてます)暖かい視線を感じます。
それはおそらく橋本さんのスタンスと言うか、フェミニズム的なことにも造詣が深いこととかそういうことも関係するのかなと思いますが。
それもまた新鮮なことでした。
女性で六条びいきの人はいくらでも(失礼)いますが、弘徽殿の女御をかばう人はあまりいない。それは同族嫌悪のようなものじゃないかと思ったりするのですが(少なくとも私はそうです)それが男性であるがゆえにない。そのため冷静に彼女を分析できるのだろうかと、そんなことを感じました。
ということで、その2に続きます。