おひとりさま良し悪し ―長文注意―

沖縄の海

今日はお休み、ひき続きあれこれする中で、こんなネット記事を見つけました。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/68179

ちょうど昨日、なんとなく「一人と孤独の違い」とか考えてた矢先だったので。
というわけで、思ったことをつれづれ、病気のこともあるし、書いてみますね。

ベテランおひとりさま

なんか私って、当たり前に一人が長いんで(それも結構満喫してるんで)「一人でも大丈夫なんだよね?」「強い人なんだよね?」みたいに思われることが多く、それ自体「今の自分」として否定するわけではないのですが、最初からそうだったわけもなく。

初めての「ひとりごはん」と言える経験は、プロフィール (ずっと下の方になります、興味のある方はぜひどうぞ) に書いてますが、その後も(あんまり記憶には残ってないけど)多分「初めての〇〇」を積み重ねて今に至ってるんだよなぁと、なんとなく甘酸っぱい気持ちになりました。

この記事を読んで、唐突に新婚旅行(元ダンナ)の時のことを思い出したり。
海外に行くということが、自分の人生の中に想定されていなかったので、新婚旅行でオーストラリアに行ったんですが、最初は買い物すらできなかったんですよね。怖いとか不安とか、そういう気持ちもゼロではなかったんですが、何より「どうしていいか分からなかった」という感じで。

でも、2日目の午後に、なんか「やろう!」と思って2$もらって、ガムだかキャンディだかを一人で買ったとき、めちゃくちゃ感動したんです。
とか、そういう話を思い出したりしました。

まさかその5年後(だったかな)に、 ダンナほっぽいて 、一人で3か月もオーストラリアに語学留学することになるとは、思ってもなかったですよね……(うふふ)

孤独は体に悪い って

ま、体がこういう状態ですし、ネットの健康情報なんかはつい読んでしまいますよね。

その中で、孤独は色々なリスクを高める、という言説、読んだことのある方も多いのではないかと思います。しかもね!!

ネット記事って「孤独」と「一人」をごっちゃにしがちだと思うんです!
そう思わん!?!? そっちの方がセンセーショナルだからなのかなぁ? イマドキの「おひとりさま」の増加に「刺さる」と思うのかなぁ?

私的には「孤独」と「一人」は似て非なるものです。っていうか、一人じゃなくても「孤独」ってありますから!!!!(強調)
二人でも孤独だったから離婚したんじゃん!(<)

でもって逆に、今の私はたしかに「一人」ですが、孤独とは思ってないし。
ということを考えると、もう少し「一人と孤独は違う」ということが、当たり前の感覚になってくれてもいいんじゃないのかなぁと思ったりするわけです。

一人の方が、自由度は高いよ?(冒頭の記事に戻る)

自分の管理について

で、その一人ということなんですが。

一人で暮らすっていうことは、生活とか健康とか、そういう諸々のコトを自分で管理しなきゃいけないってことなんですよね。でもそれって、「一人だから」なのかな? 一人じゃなきゃ、「誰か」がやってくれる? 誰かって誰?

ま、未成年のうちはね、親がいますよね。結婚したら? 男性だったら妻が、女性だったら夫が「管理してくれる」の?
違いますよね。基本は「自分」

結婚、という形を取らなくても、まぁ「家族でいましょう」という何かがあったりした所で、基本的には「自分のことは自分で」だと思うんですよね。でないと、その「誰か」が困った時、苦しんでるときに「助けることすらできない」じゃないですか。
そんな「無力な自分」でいいですか?

こんなことを考えるのには多少わけがありまして。
私の家って、母が専業主婦だったんですが、膠原病で亡くなってしまい、一時期父子家庭だったんです(そこにジャンヌダルクばりに舞い降りたのが今の母です)

父はね、本当に家事が出来なかった。子供3人いてもね、無力でした。まぁ仕事が仕事だったから、というのもあるだろうし、母が家事が好きだった(結婚前は料理教室をやっていたそうです)のもあるだろうし、そこに祖父母と同居だったってのもあると思う(祖母は私が5歳になるまで働いていましたのでおそらく家事は母が一手に担ってた)

で、祖母が亡くなり、母が亡くなり、祖父が叔母の家に行って残されたのは子供3人ですが、まぁ無力ですよね。父も、私たち子供も。
無力な子供を3人抱えて、父は大分苦労していました。その分「母子家庭はもちろん、父子家庭にも公的援助を」みたいな方面では大分仕事をしたようなのですが(詳細は知らないですが)

そういう経験をしているので、最低限の「生活力」ってのは、誰だって要るよね、と思ってる、というのはあるかなぁと思います。

「移植には家族の協力が不可欠です」という言葉に絶望した日

この話は、移植が無事終わり、社会復帰してからじゃないと説得力ないな、とか考えて、書くのを悩んだのですが、今このタイミングだからこそ、むしろ書いておくべきじゃないかと思ったので、書きますね。

割とこういうこと、移植関連のサイトに書いてあります。普通に、移植実施している病院のサイトなんかにも書いてあるし、なんでしたら、この前のオリエンテーション入院の時のインフォームドコンセントの紙にも似たような表現が書いてあります(苦笑)ま、これは「家族説明」という、場の特殊性もあるんでしょうけど。
この言葉って……「あ、家族の協力が得られないならば、移植は『無理』なんだ、『ダメ』なんだ」と、そう思えてしまう言葉ではないですか?
不可欠って、そういう強い言葉だと思うんですよね。

多分……意図としては「大変なことだから、家族の人にも協力してもらいましょうね」あるいは家族の人に対して「助けてあげましょうね」ということなのではないかな、と思ったりするんですが。
その強調表現で「不可欠」になっているのかな、と思うんですが。

その「協力」が何を指しているかすら分からないけれど、この言葉は、線維症と知らされて移植の可能性を示唆された10年近く前の私には絶望的な言葉でした。

今、あれこれ乗り越え、それでもまだ一人で泣いちゃうけど、大分いろんなことに腹をくくって来た私だから「いや、協力ってなによ、それって家族じゃなきゃ無理なん?」と思えるのですが……

だから、「そろそろ移植を視野に入れましょうか」と言われたときによぎったのは、やっぱりこの言葉の重さでした。

でもね、「あー、そりゃまぁ家族の協力はあるにはあった方がいいですけど……なんとかなるものだと思いますよ」って主治医から言われました。
え、そうなんですか、って。

病院名出すなって言われたから、出さないですけど(笑)、「うちは、洗濯買物は自分で出来ない時は看護助手がしますし」(それは家族の方で、っていう病院も多いみたいですね)

え、そうなんですか。

「もちろん、退院後の生活なんかは制約が多いので、それは大変だと思いますが、大丈夫と思いますよ、そういう方、実際に居ますし」

え、そうなんですか。
みたいな会話をし(詳細は覚えてないですが、多分こんな感じだったはず……)

職場でも私が一人なのを結構心配されるんですが、「あー、でも実家は母一人で、その母も、もう免許返納したし、山のふもとの小高い所にある築60年だし……弟は二人いるけど、それぞれ一人暮らししてて、フルタイムで働いてるし」と言うと大体しばらく絶句の上「そりゃ、如月さん一人の方がいいね、っていうか、それってむしろ如月さんが面倒見る側じゃん!」と。

なので、今、色々退院後の生活のパンフレットとか、ネットの情報とか、いただいた情報を元に、帰ってくるための準備をしているわけですが、結局「生活力があり、社会から孤立していなければ」なんとかなるかな、いや、してみせる! という気持ちでいます。
このブログに、結構詳細に病気のこと、生活のことを書いているのは、「家族の協力」の言葉に心折られる方が、少しでも希望を見つけられるように、そして実際にサバイブできるように、このブログがちょっとでも役に立てばなぁと思っているからなんです。

あと、これはまったく余談ですが、退院後の生活のパンフレットとか見てると、家族居るとたしかに協力もしてもらえるんでしょうが、一番のリスクは家族による家庭へのウィルス持ち込みや、複数人で生活(しかもその家族は元気)していることによるほこりや汚れの問題のような気がしなくもないんで、生活力あるんなら、無理をせずにマイペースに閉ざされた空間で一人で暮らせるほうがいいのでは? という気がしてきている最近です(これはサバイブしてからも、考えていきたいと思います)

クライアントの責任者は私

で、自分の体の管理の話に戻ると……

私の体って、やっぱり最後は私が責任もって見ないといけないわけですよ。
しんどかったり、つらかったり(一緒か)、なんかおかしいなと思ったり。そういうのを伝えるのは私がやらなきゃだし、「じゃぁこういうことに気を付けて」とか「この薬を飲んで」という「治療」や「指導」や「アドバイス」は病院の先生で出来るけど実際にそれを「やる」のは私で。

ということを考えた時にですね。

「うちはチーム医療なので」

とよく言われるのですが。

チーム医療っての、なんだか分かるような分からないような、と思いながら「はい」って聞いてるんですが、私の仕事の感覚で行くと、チームっていうのは「プロジェクトチーム」ですね。

そこにはプロジェクトがあり、プロジェクトリーダーがいて、それぞれの専門家とか実務担当者がいて。
これを訳すと、じゃぁ主治医の先生がリーダー? 実務担当が担当医の先生? プロジェクトっていうのはまぁ私のサバイブだよね……とか。

じゃ、私はなんでしょう? と言えば、クライアントの実務担当兼責任者、ですよね。というようなことを考えました。
なんか、そう考えると「クライアントとして、どのようなことをすればプロジェクトが成功するか」と考えると、やるべきこと、割と見えてくる……かな? とか。

クライアントは、クライアント側の問題点をしっかり把握し、プロジェクトに伝えたり、要望したりしないといけないし、それに対してチームからの提案はしっかりしてもらわないといけないし、それに対して実施すると言ったことは徹底して実施しないといけないし、etc.

となると、やっぱり私の主人は私、という「おひとりさま」の本質に帰るのかなと思います。

ついでに

そうそう、ここまで長文書いちゃったついでに。

よく、こういう話を人にすると、かたくなに「一人主義」なのかと思われて心配されたりするんですが、そういうわけじゃないんですよ(笑)

心配していただく方は善意でそこを心配されるみたいなんですが(年配の男性や、若い方に多いですね)それなりに信用、信頼できる友人だってもちろんのこといますし、今回の件で職場で信頼できる人にはゆっくりお話をさせてもらいに行って、きちんと報告したりしてるんですが、一緒に仕事をしたことがある、というくらいの方でもとても心配したり、驚かれたり、そして……泣かせちゃったり(女泣かせなんです、私)しちゃうと、頑張って復活しないとなー、という気持ちにはなりますし。

もちろん家族のいる方を否定するものではないですし。そういう方がいるのなら、それはそれで大切にすべきだし、大事なものだと思いますし。

パートナーについては(特に年配の男性から心配されますが)、またこれも、出会いですし、運ですし、かたくなに拒もうとしている、というわけでもない。
若干男性不信は残っていますが、むしろそれを #黒川伯爵のステンドグラス破り (気になる方はリンクを! めっちゃ面白いです)くらいの勢いで蹴破ってくれる人がいるのなら、それはそれで楽しみだったりするわけです(というと、大体安心されますね)

ま、如月城はかなり堅固な作りの上に、破るステンドグラスは隠し扉と来ていますが……

というわけで、一人って結構楽しいよ! という話から、一人でも意外となんとかなるんじゃない? 心配しないで大丈夫! という話でした。
お付き合いいただきましてありがとうございます。

本日もお読みいただきましてありがとうございます。

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如月 ローズ
文章も書く、ソムリエ料理研究家
岡山県のスーパーマーケットで販促のお仕事をしています。社内での講師を中心に酒と食の楽しさをお伝えしています。
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