源氏紙風船 田辺聖子

ここしばらく、ずっと私のそばにおいてある本が
源氏紙風船
です。
源氏花ごよみを始めてから、まぁ必然的に以前よりも源氏関係の本を読むことも増え、その中で新しい発見があったり、あるいは違う見方に新鮮さを覚えたり、ということもままあります。

中学だったか高校だったか……その頃に私はどうしても漱石が嫌いで、でも国語の先生が「まぁ忘れた頃に読んでごらん」とおっしゃったのですが、……この辺りの感じは、やっぱりそういうことなのかも知れません。

この本、実は裏表紙に値札痕があります。つまり、私も古本で購入した、ということなのですね。
もう新品はないみたいです。裏の日付を見ると昭和60年に発行されているようです。ちょうど私が源氏に目覚める(?)ころ、か直前の書物です。

この本は、いわゆるまぁ解説書的な本で、というよりも、ここ(花ごよみつれづれ)で私が書いているようなことが、まさしくこれなわけで、こういう薀蓄めいたものや、色んな解釈を読んでみたいと思われる方は、ぜひ探して手にしてみてください。
中でも私がすごく影響をうけたのは、「女は○○を愛す」という三章と、「埋める作業」という文章です。
この本を読まなければ、私はこの花ごよみという企画を考えはしても、こういう形で一歩踏み出すことはなかったんじゃないかな、と思います。

さらにこの中で、と言えば、それは「六条の御息所」に関して書かれた文章ですね。「新源氏物語」の引用も多くてそれが分量の多くを占めてもいるのですが、彼女(田辺聖子氏)自身が述べておられるように、「紫式部は六条の御息所を書くのを最も好んだ」というその「六条の御息所」の登場シーンを、彼女もまた最も活き活きと、好んで書いたのではないかと思われる文章です。

実は私は彼女の本は数多く持っているのですが、「新源氏物語」は持ってないし、読んでいないのです。理由はよく分からないのですが……縁がなかったとしか言えません。
がこの本を読んで、ぜひ、とは思っています。

そして最後に。
この本の、御息所の箇所から一文を引用したいと思います。
「なんと年上の女は、失う能力に(不幸にも)多く恵まれていることか。」

私の本サイト(冬薔薇~ふゆそうび)には年下の彼が多いのですが、その中の何割かには、これを書きたくて続けている部分があります。
というよりも、失いたくないと努力する女を書きたい、ということでしょうか。

六条の御息所をモチーフにした花ごよみも書きたいとは思っていますが、すでに他の作品で取り上げた(源氏とは関係なく)部分もなきにしもあらず。
どの切り口で行くかが決まれば、ぜひとも書きたいと思っています。

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