今までのこと


なんとなく、書いてきたり、読めば書いてあるなぁと思うことも、とりあえず一回まとめてみようかと。

骨髄繊維症って、一応難病には入ってるみたいだけど、国の補助とかがあるわけでもないみたいだし、
そもそもネットで調べても年間発症600人とかになってるし。

調べても、分からないことの方が多すぎるので、もしかしたら私の話でも誰かの何かになるかも知れないと思って。

私が血液の病気と付き合い始めたのは、1997年の秋のこと(最初に書いた記事では、何を勘違いしたか、2007年の発症と書いてました。失礼しました)。
微熱が続いており「一応インフルの検査もしてみるか」と検査したところ、「血小板が異常に多い」と。

松江市民病院での受診だったのですが、即松江日赤病院に転院。
その時点では「骨髄移植とか、必要になるかも知れない」と言われてました。

とは言え、日赤で骨髄検査なども受けた結果、「本態性血小板増多血症」と診断。
ハイドレアを一日2錠(朝夕)という生活が始まりました。途中からは、朝バイアスピリン100を一錠も追加。

このハイドレアという薬は、催奇性がある、ということでその時点で「この薬を飲む以上、お子さんは作らないで下さい」と言われ、夫婦や両親とも話した結果、子どもを作らないという選択をしました。

もし欲しくなったら、それはそれで、考えていかないといけない、という風には言っていただいていたのですが、私たち夫婦がお互い仕事を持ち、フルタイムで働いていた上に、当時友人を出産に伴うくも膜下出血でなくしていたこともあり、結局私たちは「子どもをつくる」という選択はしませんでした。

その後2007年に離婚などがあり、米子に引越し。国立療養所米子病院に転院。
今度の先生はハイドレアの長期服用による副作用を心配し「これ、もしかして薬飲まなくてもこの数字ちゃう?」ということで、ハイドレアの服用を中止。

その後は朝にバイアスピリン100を朝一錠飲むだけの生活に。

確かに数字は変わらず……が、1年4ヵ月後、転職に伴い、今度は岡山県金田病院に転院。
それから一年弱。骨髄繊維症に変異しているかも、ということで、再度骨髄検査。骨髄繊維症が認められ、岡大病院に転院。

今に至る。

これが私の病歴です。

現在、骨髄繊維症のステージ3になったところです。重症か軽症かで言えば、ギリギリ「重症」
一応「マニュアルに沿って」「今までの例を見れば」、 「唯一の治療法である『骨髄移植』を治療法として勧めるべき」というレベルに入ったところだそうです。

ということで、最初金田病院の骨髄検査の結果を持って転院したときには、できれば移植を勧める、という感じだったのですが……

骨髄繊維症という病気は60以上の発症が多い(今私は40です)上に、男性が多い(私は女性です)。
で、多分あまり例がないんだな。
その結果、先日岡大病院に行った際に「この前この位で進行するだろうから、移植した方がいいという話をしてたと思うんだけど、数字を見てると、そこまでならない気がする」と。
ということで「焦って移植をするよりも、少し様子を見るようにしましょう」という風に方向転換しました。

この病気はそんなに高い確率ではないのですが、白血病に転変することがあり、その際の予後があまりよくありません。
骨髄が繊維化するということで、骨髄移植の際の生着率も、通常の移植よりは悪くなってしまいます。
が……繊維症自体の症状としては、比較的慢性で、ゆるやかな進行のもののようです。
おまけに症例も少ないのだろうから、判断も難しいのだろうなと。

だから……多分この先ももしかしたら、二転三転するかも知れない。
それは仕方ないかな、と思っています。
そしてそれもあって、このブログに詳細を書くことにしました。どこまで必要とされる情報かは分からないけれど、ブログ=ウェブログであることを思えば、「もしかしたらムダにはならないかもしれない」ということに意味があるのかなと。

ということで、病気に興味のない方は、この書庫は飛ばしていただけると幸いです。


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