朝顔という女

源氏花ごよみの第二話は朝顔、でした。
彼女は私が源氏物語に出会ってから、かなり早い時期から好きだった女性です。なんというか「タラシの源氏」をきっぱりと断っちゃうところがカッコいいというか、潔いと言うか……そんなことを思っていて好きでした。
前に「私にとっての源氏物語3」でも書いたように、彼女の「結婚」という制度にすがらない生き方も好感でした。
今もその傾向は少なからずありますが、やっぱり人生を男性に依存して生きざるを得ないよりも、自身の足でしっかりと現実を見ている女性が好き、という部分があるのです。が、年齢を重ねていくにつれ、彼女に対しての見方も変わっている、という部分もあって。
その中の一つが「彼女は本当にこの生き方で納得、もしくは満足がいっているのだろうか」というものであったり。
そこを突っ込んだのが、「花ごよみ」の朝顔であったりするわけです。

本文の話は、彼女の主体的な心情というものに、あまり触れられていない気がします。なので会話の部分で推し量らざるを得ない、という部分があり。
となると……ですよ? 彼女が本音を漏らす人でない限り、彼女の発した言葉というのはあくまでも「対 誰か」への言葉に過ぎない→あくまでも外見を繕っている、あるいはやせ我慢……???
そんなことを思ってしまうのです。彼女もそれなりに身分の高い女性なので、そりゃもう、葵上や六条の御息所に勝るとも劣らないプライドを持っていたことは間違いないでしょうし、そうすると紫の上がすでに入っている源氏のところに行ったところでその先は。
身分も高い、お金もある、と来ればそれなりには大事にされるでしょうが、今までの事例を見てもただ一人の人になれるわけはない、と言うのは分かりきったことで、だったら今の方がいいわ、と思ってもそれはそうでしょう、と言う感じですね。

ただ、それでもやっぱり後年、「もしもあの時」というのは間違いなく思っただろうなと思うのです。それはどんなにその選択を正しいと思っていても、つい想像してしまうことだろうな、と。

源氏の中でも朝顔のことは独特のポジションを占めているのは、その後の明石の姫の入内の時の書き方などでもよく分かるのですが、朝顔からしてもやっぱり源氏は独特のポジションにいるような気がして、この千年の昔に、こういう男女づきあいというのを書いたというのはやっぱりすごい、とそんなことを思います。

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