ガイズムービー的源氏物語

まずこれを書くにはガイズムービーって何って所からなのですが。
「恋愛小説は女子供のもの」みたいなこと、男の人がいうことってありませんか?「あ、源氏?……ふぅん」みたいな。所詮恋愛小説でしょ、みたいな。
世の中ではまぁ、男性は恋愛小説はそんなに好きではなく、恋愛小説は女性のモノってことになってる部分が、まぁ少なからずあるのですよ。
英語で、ガイズムービーとガールズムービーがあって、……なんとなく、わかりますね、ガールズムービー。ロマンスものがだいたいこういう風に呼ばれるみたいで。
じゃあガイズムービーって何さ、ってことになると、これがアクションものだったりするわけです。

以下、ちょっとぶった切りの感もありますが、ガイズムービー論。
アクションもの、というか、まぁガイズムービーは、まず「敵」がいます。厳密にはアクションじゃないものでも、ガイズムービーには「敵」がいて、これを倒すことが(あるいは克服することが)ストーリーになっています。
敵は分かりやすい悪役だけでなく、竜巻だったり火事だったり、あるいは政治の世界の巨悪だったり、あるいは……。キリがありませんね。
そしてそれを倒す(克服する)ことでハッピー「エンド」になるのです。
そしてこれらの多くが「続き」があります。どうしてかというと、新たな「敵」が出てくるからです。(もちろん実際にあるかどうかはともかく、論理的に可能な形であることに意味があります)
それはバージョンアップしてたり、角度を変えていたり……そう言う形で再び主人公の前に現れるのです。

翻って、「恋愛もの」はどうでしょう。
多くの女主人公は相手役と結ばれて、「二人は末永く幸せにくらしました」がハッピーエンドの定番です。お姫様が次の王子様を探し始めたりしたら、それはまた、別の話になってしまうでしょう。(それはそれで面白そうですが)

ここが大きな違いだと、私は思います。

で、源氏です。このお話がガイズムービー的だと思うのは、この部分です。求めても求めても充たされず、次の相手を探す……源氏は紫の上を得ても、二人で幸せになって、物語が終わったりはしませんでした。
次の敵(というよりは、ターゲットですね)は常に源氏の前にあるのです。

もっともそれは「色恋ゴト」の上なので、結局は「恋愛物語だろ」というところで、片付けられてしまうところがある一方、この「ガイズムービー的な要素」によって、源氏物語は「光源氏」という男の一生(とその後の話)を紡ぐことができて、そして様々に複雑な要素やテーマすら盛り込むことが出来たのだと、そんなことを思います。