登場人物の独立

さて、いよいよもって如月の本サイト(冬薔薇~ふゆそうび)の源氏物語コンテンツ「源氏 花ごよみ」がスタートしたわけですが。

このお話を始めるに当たって、何を思っていたのかと言えば、やっぱり「源氏物語のお話は1000年前の話とは思えないくらい、活き活きとしている」というのがあったわけです。
そりゃもう、まるっきり、現代小説でも通じるくらいに。
……そしてやってみようと、無謀にも考えたのが、この企画だったりするわけです。
なので、基本的にはこの企画は、まずモチーフ(女君)が居て、その上でその女君にまつわる「テーマ」――たとえば末摘花の場合は「女の美醜と価値観」――があって、あとはそれをどれだけ生身の人間っぽく且つ源氏の設定に似せて書けるか。

オリジナルの設定で書こうか、とか考えたんですよ、最初は。
で、後書きか何かで「源氏の○○がモチーフです」とか書こうかな、と。
でも、それってなんか……ずるっぽいっていうか。読んでいただく前に「これは源氏を下敷きにしてるんだ」と分かった上で、「あぁ、こう来たか」と読んで頂いた方が、なんというか源氏を知っている方にとっては二度美味しいんじゃないか、とか。そんなことを考えたのですね。
で、こういう書き方(話を女君の視点で独立させる)ということを思ったとき、私が強く影響を受けたのだろうなと思う本が「瀬戸内寂聴 女人源氏物語」です。
これは一章ごとに違う女君の視点で、時には傍の女房の視点でもって、源氏物語が語られているのです。
正直、本当の意味での「二次創作的」と言える本かも知れません。
(私のは、二次創作と名乗っては居ますが、多分原作から離れすぎ)

ここでやっぱり目からうろこ、といいますか……名前はそう言えば出てたなぁという女君が、ちゃんと呼吸して、そこに生きてる。
最初のショックは今何度も読み返すうちに慣れてきてしまって、そうでもありませんが、それでもやっぱり大きなものです。

ということで。
現代に彼ら彼女らが生まれていたら、どんな人だったのかな、という視点を加えて、源氏花ごよみは書いていく予定です。
えっ? こんな見方があったの? と驚いていただけると、嬉しいな、と思います。